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遺跡の説明

国指定史跡『勝瑞城館跡』 くにしていしせき『しょうずいじょうかんあと』

 勝瑞城館跡は、勝瑞に所在し、阿波の実権を握っていた三好氏の居城跡と推定されている遺跡です。
 遺跡の推定範囲はまだ全体の形はわかっていませんが、おそらく、館跡を中心に直径約300mの範囲と推定されています。

推定範囲


 勝瑞城館跡は、勝瑞城跡公園整備事業を契機として平成6年度から発掘調査が始まりました。調査が進むにつれ、多くの発見がありました。出土する遺物や検出される
遺構の内容や規模、 保存状態は全国的に見ても一級品であり、その遺跡としての価値が評価され、平成13年1月29日に国史跡に指定されました。
 それ以降、『勝瑞城館跡』の保存と活用に向けて土地の公有化を進めるとともに
発掘調査を進めました。その結果、『勝瑞城館跡』はさらに広範囲に広がり、内容も
充実したものであることが判明し、平成19年2月6日にも国史跡に追加指定を受け
ました。また、平成26年10月6日には正貴寺跡が追加指定を受けるなど、何度かの追加指定を受けたことで、現在、国指定範囲の面積は、5万8799.4㎡になります。

指定範囲
正貴寺跡は城館跡から700m南東にあります。
この写真には入っていません。

勝瑞城跡 しょうずいじょうあと

  勝瑞の発掘調査は、平成6年、「勝瑞城」から始まります。
 勝瑞城跡は昭和31年2月7日に徳島県の史跡として指定され、大切に保護されてきました。藍住町では、「勝瑞城跡」を保存し、整備・活用するために勝瑞城跡公園整備事業を起業しました。これに伴い、勝瑞に初めて発掘調査の鍬が入れられることになり
ました。

城跡の濠  城跡土塁
発掘された勝瑞城跡の濠                 発掘された勝瑞城跡の土塁

 調査では、上幅約13mの濠や基底部幅約12.5m・高さ約2.5mの土塁が確認され
ました。
 また、濠の肩や城内からは大量の瓦が固まって出土しており、このことから勝瑞城跡には瓦葺きの施設が存在したことが推定されます。 

城跡瓦
勝瑞城跡から検出された瓦

城跡出土瓦
勝瑞城跡から出土した軒瓦

 出土遺物としては、瓦の他に、土師器皿をはじめ備前焼、瀬戸美濃焼等の国産陶器
や、中国磁器、銭等があります。これら出土遺物の年代などから、勝瑞城は16世紀末に築かれたことも判明しました。
 現在、城跡の一部が三好氏の菩提寺である、見性寺の境内となっていますが、周囲
には濠が巡り、一部土塁も残っています。   
 

三好四代の墓 ぎちょうひ
三好家四代の墓                    勝瑞義冢碑    

 また、見性寺の境内には、三好氏の歴代の墓が立ち並んでおり、その墓は 之長、
元長、実休、長治のものといわれています。
 同じく見性寺の敷地内には、藍住町の指定文化財「勝瑞義冢碑」
(しょうずいぎちょうひ)があります。これは、阿波三好氏の盛衰が漢文で書き連ねられている石碑で、
徳島藩の儒員で四国正学と称された那波魯堂(なばろどう)が記したものであり、その碑文は名文であると親しまれてきたものです。
※全文→(勝瑞義冢碑)

勝瑞館跡 しょうずいやかたあと

 勝瑞城跡から県道松茂吉野線を挟んで南側に、「お山」と呼ばれる土地があり
ました。
 当時、長尾鉄工所がこの地で操業していましたが、協力を得て平成9年に発掘調査を
実施しました。すると、大量の土師器皿や国内外産陶磁器類、銭などが出土し、溝や
礎石建物跡などが検出されました。

sp1
検出された土器だまり

■大規模な濠跡
 勝瑞城館は、複数の曲輪によって形成されていると考えられています。
それらの曲輪は、幅10m~15m、深さ3m~3.5mもの大規模な濠によって区画されており、 発掘調査では縦横に走る濠跡が検出されています。


館跡濠  館跡濠2
館跡の濠跡(上空から)                検出された館跡の濠跡 


 濠底には、常に水が溜まっていたことを示す有機質粘土層が堆積していました。その中からは、呪符木簡やこけら経、卒塔婆、漆椀、柄杓、独楽などの大量の木製品をはじめ、貴重な資料が多く出土しています。

卒塔婆 出土した卒塔婆


■枯山水庭園
 平成11年度に実施した勝瑞館跡第2次発掘調査及び、第3次発掘調査で、濠に
囲まれた区画の内部から枯山水庭園が発見されました。 

 発掘された会所と枯山水   整備枯山水
       出土した枯山水庭園                復元された枯山水庭園

 庭園の景石には、12個の石〔緑泥片岩(青石)9個、砂岩2個、チャート1個〕が使われています。いずれも50㎝~1mほどの小振りな石で、これらを組み合わせずに単独で配置している点が特徴です。
 また、庭園の北側からは庭園を眺めるための建物の跡も見つかっています。この建物は、館内で喫茶や宴会を催すなど、サロン的な役割を果たした会所であったであろうと考えられています。

           礎石建物跡 検出された会所跡 
   
    3D建物   3D建物間取り予想     CGで推定復元した勝瑞城館跡の会所(CG制作は中野真弘氏)
整備会所
復元された会所と枯山水庭園
                

■池泉庭園と礎石建物群
 平成16年度・17年度に実施した調査では、池泉庭園が検出されました。
池の規模は、東西約40m・南北約30mで中島を有します。池と中島の岸は部分的に石積みが見つかっています。

園池
H16・17年に検出された池庭全景(下部に並んでいる長方形は工場の建物基礎) 

CG池
CGで復元された池庭(CG制作:中野真弘氏、平井松午氏)

 その規模は、発掘庭園としては全国最大級で、館の主の権威をあらわしているの
でしょう。 池のなだらかな岸と、全体的に小さい石を使っている事によって
優しく雅やかな雰囲気を醸し出しています。

池の州浜
検出された池東岸の州浜護岸

 また、池の北側には礎石建物跡群が見つかっています。工場建物の基礎があり、
確認できない部分もありますが、おそらく3~4棟の建物があると考えられます。

礎石建物跡(東)   CG池と建物
  検出された礎石建物跡群(上空から)         CGで復元された全体想像図
                           (CG制作:中野真弘氏)

正貴寺跡 しょうきじあと

 勝瑞の城下にはたくさんのお寺があったようです。正貴寺もそのひとつで、三好氏の祈願寺でした。
 正貴寺跡は古くから小字名や伝承から寺の存在を示していました。3次にわたる発掘調査により、多くの瓦と、大規模な礎石建物跡が見つかりました。寺院関連の遺構が残っており、国指定史跡に追加指定されました。

正貴寺跡礎石建物
検出された礎石建物跡

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