| 正貴寺 一 五間半ニ拾壱間客殿、四間ニ八間庫裏、並三間ニ四間 取次、貳間ニ三間玄関、唐破風作、貳間四方鐘撞堂 一 三間四方護摩堂、本尊不動、三間ニ五間土藏、三間ニ 九間之下坊主部屋、三間ニ八間奥坐敷、三間ニ五間仁 王門、三間ニ四間表門、二間半ニ三間裏門、貳間ニ三 間寶藏、寺立ハ南向也、本尊阿弥陀釈迦御作也、並大 師御錫杖花さし貳ツ、但志やくどう、三好殿御上被為 成候、御紋付幕貳張、大師御自筆御影一幅、屋敷壹丁 七反餘、四方ニ藪なり (「阿州三好記並寺立屋敷割次第」『阿波国徴古雑抄』) |
鬼瓦 瓦だまり
第1次・第2次発掘調査で、大量の瓦とともに礎石建物跡が発見
され、多くの出土遺物もあり、良好な保存状態で寺院関連の遺構が
残存していることがわかりました。これらの成果から、平成26年10月6日、正貴寺跡が国指定史跡の追加指定されました。
正貴寺跡第3次調査では、大規模な礎石建物跡が検出されました。
今までの調査でも礎石建物跡は検出されていますが、その規模などは
分かっていませんでした。今回検出されたものは桁行五間、梁間六間半の規模で、その南側には雨落ち溝も約15mの長さで検出されています。推定される寺域のほぼ中央部に位置することから、もしかすると
正貴寺の本堂にあたる建物かもしれません。
また、礎石建物跡の南側に、鉄滓を大量に含んだ土坑2基と金床石1点の鍛冶関連遺構も検出されています。建物を建てる際に必要な釘
などの金具を作ったり、鋸や槍鉋などの工具の修理等をここで行ったのではないかと考えられます。
正貴寺の廃絶年代については、寺院は最終的には焼失したと考え
られ、焼けた壁土や瓦、炭化物を大量に含んだ層が確認されており、
この層の中から出土する遺物の年代から、16世紀後半と推定されています。また、この炭化物の層から、亀の模様が彫られた硯が出土しました。
亀の絵の硯 鍛冶関連遺構と雨落ち溝の石列
正貴寺跡第3次発掘調査区全景
●正貴寺跡第1次発掘調査
…調査期間 平成10年1月19日〜平成10年2月27日
…調査面積 120u
●正貴寺跡第2次発掘調査・・・
…調査期間 平成25年7月19日〜平成25年9月30日
…調査面積 400u
●正貴寺跡第3次発掘調査・・・
…調査期間 平成27年1月13日〜平成27年3月13日
…調査面積 370u
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